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4402救急車博多ダンディ(兄2/21 3:43:316122cfoMAVqdadA4U

博多ダンディ(兄2/21 3:43:476122cfoMAVqdadA4U||650

救急車のサイレンが通り過ぎるのにはもう慣れた。
一昨年までは病院の近くに住み、今は消防署のご近所さんなのだから、
昼も夜もひっきりなしに行き来するサイレンに慣れるのも当然だ。
あの音が誰を救いに行くのか、その人が今どんなにか苦しんでいるか、
そして命は助かるのか。
そんなことをいちいち考えたりはしない。
まして、自分が乗るところなんて想像しもしない。
救急車のサイレンは、今の私にはただの音だ。


博多ダンディ(兄2/21 3:44:116122cfoMAVqdadA4U||513

救急車、というものを初めに意識したのは、たしか小学生中学年の頃だったと思う。
天気の良い夏の日曜の昼だった。みっつ年下の隣の男の子が、玄関の扉に腕をはさまれる事故が
起こった。
扉、といっても出入りする方ではない。蝶番側の狭い隙間にはさまれて腕が抜けなくなったのだ。

博多ダンディ(兄2/21 3:44:176122cfoMAVqdadA4U||951
隣の家の前には野次馬が集まり、レスキュー隊が泣き叫ぶ子供を助けようと扉のボルトを
外している様を、ひそひそ話したり、特に興味はなさそうな顔をして遠巻きに眺めていた。
私はその光景を自宅の二階から他人事とばかりにぼうっと見つめ、救急車のサイレンが
聞こえなくなるまでに、母親が買い置いていたアイスキャンディを五本平らげていた。
よくもまぁその晩、腹痛で救急車で運ばれることにならなかったものだ、と思う。


博多ダンディ(兄2/21 3:44:446122cfoMAVqdadA4U||51

その次は忘れもしない、高校一年の時だ。
私は元来蒲柳の質なのに、何を思ったものか、それまで極力避けてきた運動部であるバドミントン部に
入部した。
しかし、体育会系のノリについていけるものだろうか、と緊張したのは初めの一瞬だけであった。
部員は皆人の良い奴らばかりで、皆私と同じくらいへっぴり腰だったのだ。
私たち男八人はすぐに良い仲間になり、そして一様に部にたった一人の女子マネージャーに恋をした。

博多ダンディ(兄2/21 3:45:26122cfoMAVqdadA4U||311
今思い出してみても、彼女はとりたてて容姿が優れているわけでもない、明るさと元気さだけが
取得のような娘であったが、それでも私たちは彼女にぞっこんだったし、お互いに口にしないまでも
そのことを知っていて、そのことがまた私たちの間に不思議な連帯感を生み出していた


博多ダンディ(兄2/21 3:45:196122cfoMAVqdadA4U||394

私たち九人は全員揃えばいつも馬鹿な遊びをして騒いでばかりいたし、バドミントンの練習なんて
いい加減なものであった。
そんなへっぽこバドミントン部だっただけに、何をまかり間違ったのか、私たちが夏の地区大会に
優勝してしまった時の驚きと興奮はもの凄いものであった。
常勝校のキャプテンが軽犯罪を起こして出場辞退したり、相手の選手が試合中に突き指したりと、
とにかくあらゆる幸運が一度に訪れたことは間違いない。
それでも確かに優勝したのは私たちであった。

博多ダンディ(兄2/21 3:45:336122cfoMAVqdadA4U||623
その日の帰り、私たちは興奮冷めやらぬまま公園にたむろして、暗くなるまで騒いだ。
コンビニで買ってきた菓子やジュースをむさぼり、汗臭いシャツを脱いで公園中を駆け回ったり
意味もなくときの声をあげたりした。
そんな私たちをあの娘は笑いながら見ていて、一緒になって叫んだりした。
騒ぎ疲れたら皆で芝生の上に寝転がり、荒い息をつきながらオレンジや紫に染まった空を見上げた。

博多ダンディ(兄2/21 3:45:476122cfoMAVqdadA4U||798
夕焼けの中にひらひらと小さな羽虫たちが舞い、遠くからは涼しげな蜩の声が響いてきていた。
そう、私たちは青春の真っ只中にいた。
何もかもがあの夕陽のように輝いて、この世に恐れるものなど何一つない気さえしていた。
けれども、あの瞬間でさえ私たちは、羽虫のように儚く、蜩の声のように細い線の上を歩いていたのだった。


博多ダンディ(兄2/21 3:46:26122cfoMAVqdadA4U||578

その日、私たちが銘々帰途についたのはもう日付が変わろうとしている頃であった。
試合とその後の馬鹿騒ぎで疲れきっていた私は、家につくと親の小言にも生返事だけして
すぐに布団に入って寝てしまった。
ちょうどその頃、マネージャーのあの娘は家へ向かう暗い道の途中で何者かに後頭部を殴られ
病院に運ばれていた。

博多ダンディ(兄2/21 3:46:196122cfoMAVqdadA4U||194
翌日、私たち八人は職員室に呼び出された。
ハンマーのような鈍器で。脳挫傷。意識不明。
私たちは悲しむ時間も与えられぬまま一週間の自宅謹慎を言い渡され、
あの娘の痛みを少しでも貰い受ける権利すら奪われた。
その夜、私たちはこっそり連絡を取り合い、それぞれ家を抜け出してあの公園に集まった。

博多ダンディ(兄2/21 3:46:326122cfoMAVqdadA4U||615
前日と違って夜の公園はもの寂しく、ひとつしかない外灯がうすぼんやりと闇に浮かび上がっていた。
「俺たちは試合じゃ優勝したけどさ」
長い沈黙を破って、ひとりが口を開いた。
「男としては失格だな」

博多ダンディ(兄2/21 3:46:486122cfoMAVqdadA4U||864
その通りだった。
どうしてあの時、誰も彼女を送っていこうという気にならなかったのだろう?
どうしてあんなにも惚れている娘を、ひとりで帰らせるような真似をしたんだろう?
今は分かる。
私たちは興奮しすぎて、そんな当たり前のようなことすら思いつかなかったのだ。
結局、私たちの恋は春を喜ぶ蝶のような、若々しい衝動に過ぎなかったのだ。

博多ダンディ(兄2/21 3:47:06122cfoMAVqdadA4U||425
八人は再び黙ったまま時を過ごし、やがてひとりずつ家に帰っていった。
その晩、私は学校で渡された反省文の原稿用紙を真っ黒に塗りつぶした。
今、彼女のいる闇を少しでも知りたかった。
その黒い紙面を眺めている私の耳には、どこからかずっと救急車のサイレンが鳴り響いていた。


博多ダンディ(兄2/21 3:47:156122cfoMAVqdadA4U||695

夏の虫たちの命の炎が尽き果てる頃、あの娘は退院してきて、元通り通学も出来るほど回復した。
私たちもまた元のように九人で集まり、元のように馬鹿をやっては騒いだ。
けれど、もう季節はすでに秋へと移り変わっていたのだった。


博多ダンディ(兄2/21 3:47:266122cfoMAVqdadA4U||170

大学二年の冬には、呑んだくれて街をフラフラと歩いている折に
他の酔っ払いを助けにきた救急車にひかれた。
したたかに打ちつけた頬にアスファルトの冷たさを感じながら、アルコールに浸った頭で
これはあの時の因果応報なのだ、などと考えていた。


博多ダンディ(兄2/21 3:47:396122cfoMAVqdadA4U||69

こうして色々と思い出している間にもまたひとつ、ドップラー効果に歪んだサイレンが
夜の街に消えていった。
救急車のサイレンに何も感じなくなったのは、もしかすると、
ただ聞きなれたと言う事だけではないかもしれない。

博多ダンディ(兄2/21 3:47:506122cfoMAVqdadA4U||931
あの音が困った人々を送り込むのは、命を救う奇跡の聖域ではなく、
死出の旅への待合所だと思ってしまうほど、私が歳を取ってしまったということなのだろう。
もう私はあの夏のアイスキャンディの味を思い出すことは出来ない。
私はもう、私たちが皆、夏の夜に儚く舞う薄羽かげろうのような命を生きているのだと
悟ってしまったのだから。

marinoe2/21 12:42:32101cfLXYNtwKoJz2||746
ずん様、こんにちは、お名前を省略させて頂く事を御許し下さい

今回はまた、直球ど真ん中な物語でした
ちゃんといつものように哀愁の衣を羽織っていて、夏色までちりばめられ
でも凄〜く噛んで含むように分かりやすくってビックリです
私は未だに悟りが足りないようで、サイレンの音がする度に
親指を握り込んでおります
いつか、消滅する運命でも、そう、誰も死ななくって良かった
ちょっと関係なかったかもしれません


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