6227 | 猫頭山・十 | ダンディずん | 8/2 19:27:3 | 6122cfoMAVqdadA4U |
* 猫頭山・第一挿話 「乙と犬麻呂」 春之章 第二幕 「喪家の犬」 第二話 * |
ダンディずん | 8/2 19:27:50 | 6122cfoMAVqdadA4U||41 | ||
月明かりが黒い幕をはがしていくように少しずつその童の陰影をくっきりと浮かび上がらせていく程に、その異様な有様が明らかにされていった。 童の顔の高さは犬麻呂の腹の高さにあったが、頭が下になっていた。 胴を莚で簀巻きにされ、腕ごと縄でくくられた状態で、松の太い横枝に逆さまに吊るされていたのだ。 その顔には薄暗がりでもはっきりと分かるほどの傷がいくつもあり、誰かに幾度も殴られたであろうことが見て取れた。 目は閉じられているというより、瞼が腫れ上がっているようであった。 裸足の足裏のは雪が積もり、身体は風を受けて振り子のようにわずかに揺れていた。 |
ダンディずん | 8/2 19:28:29 | 6122cfoMAVqdadA4U||181 | ||
――大方、盗みでもやったのだろう。 京の外では、父母に死なれた子たちが生きる道はふたつしかない。 草木に紛れて獣のように暮らすか、他人のものを奪って暮らすか。 そのどちらにせよ、山犬に怯え人に怯え、ただひたすらに逃げ隠れしながら、死なないように生きているだけの生活である。 守ってくれる者のいない小さく弱き者らにとって、この世のあらゆるものは敵であり、全ては奪うか、奪われるか、という力の関係の中にあった。 |
ダンディずん | 8/2 19:30:17 | 6122cfoMAVqdadA4U||769 | ||
この小さな敗北者を目の前にして、犬麻呂に哀れみの情はなかった。 むしろ彼には、その童の襤褸のような姿が清々しくさえ思えた。 ――生き死ににあって、敗北とはなんと理解り易いことか。 犬麻呂は近づいて片膝をついてしゃがむと、童の頬に軽く手を当てた。 身体は冷え切っていたが、まだ肌に温もりがあった。 今度は口元に手をかざしてみると、かすかに息をしている。 |
ダンディずん | 8/2 19:31:32 | 6122cfoMAVqdadA4U||296 | ||
――此奴もまだ、負ける気はないらしい。 あと数刻もこのまま吊るされていれば、童は完全に息絶えていたであろう。 犬麻呂が偶然通りかからねば、このような真夜中、他に誰がこの童を見つけたであろうか。 「おい、目を醒ませ」 犬麻呂がぴしゃぴしゃと手の甲で童の頬を軽く打つと、喉の奥からきしむような声が漏れた。 腫れた瞼がかすかに開かれ、黒ずんだ顔に一筋の輝きが宿った。 |
ダンディずん | 8/2 19:32:23 | 6122cfoMAVqdadA4U||665 | ||
「盗みか」 童は口を開きかけたが、声にならなかったのか、返事の代わりにひとつ、力なく頷いた。 身体が前後に振れ、縄がきしんだ。 「助けて欲しいか」 答えはなかった。 また気を失ったのかと思って手を伸ばしかけたその時、童の頭がはじかれたように振られた。 身体が左右に揺れた。 |
ダンディずん | 8/2 19:34:10 | 6122cfoMAVqdadA4U||582 | ||
――助けはいらん、と。 蓑虫のような格好にさせられて身動きもまともに出来ぬというのに、童は犬麻呂の救いをいらぬというのだ。 犬麻呂は胸の内に湧き上がる旋風のようなものを感じた。 犬麻呂は再び尋ねた。 「助けはいらんのだな」 今度は、はっきりと首が横に振られた。 表情こそ変えなかったが、犬麻呂は内心、童の頑として首を縦に振らぬ態度にほくそ笑んだ。 |
ダンディずん | 8/2 19:34:34 | 6122cfoMAVqdadA4U||861 | ||
「好きにしろ。俺はここで休む」 そう言うと、犬麻呂は小道を挟んで反対側の林の縁まで行き、腰掛けるのに手ごろな株を見つけると、その上にうっすらと積もった雪を払い、ちょうど童を見据えるような具合で座った。 闇に沈むふたりを淡い光の幕が隔て、獣のような息遣いと四つの瞳の鋭い光だけが、お互いの間を行き交った。 |
ダンディずん | 8/2 19:35:3 | 6122cfoMAVqdadA4U||611 | ||
そのまま数刻が過ぎ、東から空が白みはじめた。 犬麻呂は、童がとうに死んでいるのではないかと、立ち上がって声をかけた。 「おい、生きておるか」 返事はない。 「死んだか」 かすかに首が振られた。童の身体が、縦に揺れた。 |
ダンディずん | 8/2 19:35:54 | 6122cfoMAVqdadA4U||430 | ||
――戯けおって。 犬麻呂は声を上げて笑い出しそうになったが、喉元まで来ていた笑いをぐっと飲み込んだ。 今、この吊り下げられた童を嘲る自分の姿に、自分の最も憎む男が透けて見えたような気がしたからである。 「見上げた奴だ。だが、いい加減、意地を張っても仕方あるまい」 童は目を瞑ったまま、返事をしない。 薄明に少しずつ闇が砕かれ、潰された虫の体液のように紫色の残滓が脈動しながら空に吸われてゆく。 |
ダンディずん | 8/2 19:36:30 | 6122cfoMAVqdadA4U||829 | ||
「いいだろう、そこまで覚悟があるのならば」 犬麻呂は座っていた株の根元から弓を取り上げた。胡簗から一本の矢を取り出し、その弓につがえた。 「俺は剣では誰にも負けぬが、弓の扱いは不得手でな」 そう言いながら腕を大きく振り上げ、その腕を徐々に降ろすようにして弓を引き絞った。 ぎりりと音がするほど弦が張った時、その矢先はぴたりと童を指していた。 |
ダンディずん | 8/2 19:37:18 | 6122cfoMAVqdadA4U||371 | ||
「俺がここを通りかかったのがお前の運ゆえというならば、この矢の飛ぶ先もお前の運次第」 童が目を開いた。 血が上ってどす黒く変色した顔の奥で、瞳に生色が宿った。 「縄に当たるか、全く当たらぬか、それともお前自身に当たるか。己の運で、己の命、掴みとって見せろ」 |
ダンディずん | 8/2 19:38:26 | 6122cfoMAVqdadA4U||345 | ||
犬麻呂は目を閉じた。 渺、と風が吹き抜け、弓弦がさめざめと高い声で泣いた。 童は目を閉じなかった。 かすみのかかった視界の先に、犬麻呂の構える矢の先端を捕らえていた。 それは彼自身の命であり、死であった。 まぶしい光が童の目を覆った。はるか東の山の端が崩され、日が昇ったのだ。 蠢く闇を破り、夜の終わりを告げる白い光が童を照らし出した。 それでも、童の瞳は開かれていた。 |
ダンディずん | 8/2 19:38:46 | 6122cfoMAVqdadA4U||656 | ||
びん、と弓の鳴る音が木の間に響いた。 |
ダンディずん | 8/2 19:39:4 | 6122cfoMAVqdadA4U||386 | ||
* |
ダンディずん | 8/2 19:40:0 | 6122cfoMAVqdadA4U||361 | ||
新たな京への入出管理の案件をうんざりしながらやっつけている左衛門佐の元に、ひとりの衛士が駆け込んできた。 「犬麻呂殿が、お戻りになられました」 左衛門佐は、その衛士の表情から、それがただの報告ではないことを悟った。 行きに見送ったその場所で出迎えた左衛門佐が見たのは、朝日を背に浴びて歩いてくる犬麻呂と、その背に負われたひとりの童であった。 犬麻呂は左衛門佐が口を開く前に、背から童を降ろして左衛門佐の前に差し出すと、こう言った。 「こいつを手当てしてやってくれ。俺は帰って、少し眠る」 |
ダンディずん | 8/2 19:43:45 | 6122cfoMAVqdadA4U||222 | ||
****************************************** とうとう原稿用紙にして百枚突破。 この調子でいくと文庫本一冊くらいの厚みになるのではないだろうか。 もっとも、それも私の根性如何でただのゴミクズとなるかもしれんが。 話の展開があまりに遅いので、なんとも歯痒いのはきっと筆者だけではあるまい。 本当はもっとザックリと書きたいのだが。 時間の密度が高いほど物語文は書きにくくなるものなのだ。 ****************************************** |
ダンディずん | 8/2 19:45:36 | 6122cfoMAVqdadA4U||659 | ||
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 猫頭山・一 http://bbs.chibicon.net/bbs/t12-5393.html 猫頭山・二 http://bbs.chibicon.net/bbs/t12-5437.html 猫頭山・三 http://bbs.chibicon.net/bbs/t12-5458.html 猫頭山・四 http://bbs.chibicon.net/bbs/t12-5540.html 猫頭山・五 http://bbs.chibicon.net/bbs/t12-5612.html |
ダンディずん | 8/2 19:45:50 | 6122cfoMAVqdadA4U||569 | ||
猫頭山・六 http://bbs.chibicon.net/bbs/t12-5718.html 猫頭山・七 http://bbs.chibicon.net/bbs/t12-5771.html 猫頭山・八 http://bbs.chibicon.net/bbs/t12-5862.html 猫頭山・九 http://bbs.chibicon.net/bbs/t12-6061.html ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ |
marinoe | 8/3 10:23:13 | 2181cf/osoJF9ciuY||229 | ||
ずん様、こんにちは☆ まさか、夕方に発刊されているとは、随分遅れを取ってしまった心持ちですが、 気を取り直して、定型に入れては見誤りそうですが・・・ これだけ、死という物が隠蔽されて見えにくくなっている今、 毎日ロシアンルーレットのように命を引き当てている感覚もまるでなく ただ、生かされていると、文でしか掴み獲る感じは解らないのかもしれない。 いざというその時、目をつぶらずに見極める強さがほしいと思っています。 彼が、何を手に入れて戻ってきたのか、とても気になります。 |
博多ダンディ(兄 | 8/4 1:53:26 | 6122cfoMAVqdadA4U||657 | ||
marinoeさん、こんばんは このところキチンと夜に寝ているので、朝早くの連載パターンも変わってしまいました 健康には良いのですが、やはり夜の頭から這い出るドロドロ感と静寂が恋しくもあります 死に関して言えば、やはり物書きは嘘吐きと言わざるを得ないかもしれません 生きている限り死は知りようもなく、スレスレの命もまた描ききれるものではない けれども、心のうちのことであれば、生きながら死ぬ、という状態はたしかに存在し、 それは多くの人が感じ得ることように思います 先取り話ではありますが、犬麻呂が何を得るか、もですが、何を欲しているのか、を 見ていただけたら、作者の意図は伝わりやすいかもしれません |
博多ダンディ(兄 | 8/4 1:58:40 | 6122cfoMAVqdadA4U||115 | ||
死の先に生を見るような鮮烈な体験は、今の日本社会ではなかなか無く、 それは良いことでもある一方で、きっと色々と失う結果ともつながっているのでしょう そのかわり、生の先に死が見えた時にその過去に目を開く時間が与えられた その時になって目をそむけずに見つめられるように、この時を歩みたいものです |
特殊文字 by.チビファンタジー 過去ログ | ||||
![]() ![]() ![]() |